たまりば

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2020年10月20日

『ラッパ一本玉手箱』

町田市で作曲家やってるTomです。トランぺッターの近藤等則氏死去の報に接して。

近藤等則『ラッパ一本玉手箱』(1990年、朝日出版社)

はじめてじぶんで買った一冊。まだ中学生。

そのころ、吹奏楽部でトランペットをはじめていた。それで、「ラッパ」とのタイトルを図書館でみかけて、ひかれた(はず)。

わからないことばのオンパレード。それでもわかるいくつかのことばが、強烈に印象にのこる。それは、アジテートのことばであった。

「アート・パフォーマンス、しようのない言葉だ。西洋の知の世界もツカレタ世界だ(近藤 1990:33)」。

折に触れ、いまでもひらく。「狭い日本をますます狭くしているのは日本人自身だ。気持ちだけでも地球のノリになれないのか(近藤 1990:135- 6)」。

かれの吹くラッパは、音楽のかたちを超え、演奏と生活と実存のすべてが、一体化していくようだ。すると録音は、再現不能な音響現象の記録となり、付されたタイトルも、録音トラックをアイデンティファイするためだけの記号であるかのように、うつる。

何かにあわせて(ビート、和音、タイミング)吹くわけではなくなる。はじまりも、おわりも、生活における演奏とその役割意識も消滅。はしっこがなくなる感覚。のこるのは、実存と、対話、コミュニケーション。それが「地球を吹く」ではなかったか。

アートにエールを!東京プロジェクトに採択で、オイラも即興にとりくみ、なにがしかがわかった。

俺は、構築=Compositionをえらんだな。

それにしても、トランペットの音色(=ねいろ)には、都会の夜が溶けこんでいる。

「九〇年代、オレは人間精神復権の時代がやってくることを希望する。一人ひとりが己の生を輝かすためのありかを、真剣に楽しみながら求める時代の来ることを(近藤 1990:164)」。

それから30年。
「この国じゃあ我慢と辛抱で総理大臣になれる(近藤 1990:45)」。

Underground Resistance/ The Illuminator
https://www.youtube.com/watch?v=BZEUP35oDuI

宇宙空間へ放たれた、かれの音の、永遠なる拡散をおもって。
Que En Paz Descanse.




  • Posted by Tom Motsuzai  at 11:00 │Comments(0)

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