「...風」の外れる日(承前)
町田市で作曲家やってるTomです。それで、音楽ではどうか。
たとえば世界中で、ワルツは作曲されている(そういえばオイラも)。しかし、「ワルツ=waltz」は、そもそも英語だ。
現在では、きかれるためのコンサート音楽として、かつては踊られた19世紀ウィーン風ワルツが、大手を振っているとしても。
***
録音が存在する音楽では、耳コピという多聴学習法で、ソックリおなじが探究される。どうじに、あらたな音楽性を身につける契機ともなる。これは、ほんものらしさ=authenticityへのアプローチ。
一方、個性が創作にもとめられる環境では、「...風」は超越されるべき、またはパロディとしてメタ化されるべき指標となる。
ワルツでいえば、モーリス・ラヴェル『ラ・ヴァルス』(1921)や、『優雅で感傷的なワルツ集』(1911)が、想起されよう。
そのとき、ほんものらしさ=authenticityは、個性=originalityに席をゆずる。
もちろん機会音楽として、個性よりも、らしさが求められる場面もある。
したがって、どちらからあゆみをすすめても、いずれ他方が、新たな相貌でやってくる。
はたしてオイラの『みつばちのワルツ Bumble Bee's Waltz』は、どんな評価を受けるのやら...
たとえば世界中で、ワルツは作曲されている(そういえばオイラも)。しかし、「ワルツ=waltz」は、そもそも英語だ。
現在では、きかれるためのコンサート音楽として、かつては踊られた19世紀ウィーン風ワルツが、大手を振っているとしても。
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録音が存在する音楽では、耳コピという多聴学習法で、ソックリおなじが探究される。どうじに、あらたな音楽性を身につける契機ともなる。これは、ほんものらしさ=authenticityへのアプローチ。
一方、個性が創作にもとめられる環境では、「...風」は超越されるべき、またはパロディとしてメタ化されるべき指標となる。
ワルツでいえば、モーリス・ラヴェル『ラ・ヴァルス』(1921)や、『優雅で感傷的なワルツ集』(1911)が、想起されよう。
そのとき、ほんものらしさ=authenticityは、個性=originalityに席をゆずる。
もちろん機会音楽として、個性よりも、らしさが求められる場面もある。
したがって、どちらからあゆみをすすめても、いずれ他方が、新たな相貌でやってくる。
はたしてオイラの『みつばちのワルツ Bumble Bee's Waltz』は、どんな評価を受けるのやら...