オンライン教授を考察する
町田市で作曲家やってるTomです。1年以上つづけるオンラインでの音楽教授について、道具立て、送り手側、受け手側の3点からかんがえてみたい。
具体的には、ZOOMを利用した双方向リアルタイムの音声、映像を想定。
教授内容は、和声分析を中心とした、楽曲考察。ピアノを弾いてきかせる場面もある。板書ありの、各回1曲。適宜、質問なり意見なりをうけつけ、対話をうながす少人数ゼミ形式。同内容の実地教授もおこなっている。
音楽演奏をつうじたコミュニケーションの改善、すなわち演奏・歌唱のレッスンではない。オンライン教授を、ここではかりに仮想教室とみなしておきたい。
道具立て:
これは送り手、受け手のどちらも、安定した通信環境、ノートパソコンていど(以上でも)の大きさのモニターがのぞましい。送り手側として、板書に利用するホワイトボードが写り込む、広角カメラが必要。映像は定点で、ズームやパンは一切なし。マイクはノートパソコン付属のものだが、これでピアノ演奏も満足すべきレヴェルで拾えている(といふ)。ハウリングを避けるため、音声出力はイヤフォンを使用。
送り手側:
参加者全員がカメラオンで、顔がみえる前提。話をすすめていくタイミングや理解の程度は、受け手の表情やしぐさから確認。音声はオフにしてあっても、受け手全員の映像を目にできると、文字どおり、仮想教室のすべてに目が届く。板書や話をすすめるタイミングが、実際の受け手とのコミュニケーションとして成立すると、参加意識が有意に高まる。また、グッとはなしやすくなる。
留意するのは、沈黙のながさ。対面では板書を写す時間をたっぷり取るが、オンラインではやや切り詰めざるを得ない。オンラインの沈黙は、とってもきまずいもの。とはいえ、話しと演奏を一方的にきいているだけでは、絵面(えづら)としても飽きられるので、板書は積極的におこなう。
説明のためのピアノ演奏は、オンラインではなるたけみじかめに、必要をかぎっておこなう。実地とはことなり、演奏は空間を満たすのではなく、一人ひとりに直接届いている。これは、概念として放送です。ききづらくなるから、音声とピアノ演奏は、同時におこなわない。
受け手側:
全国から一堂に会する勉強会として、そもそも仮想教室が、唯一の場所。オンラインだから可能になる勉強会への参加は、代替がきかない。同居者をふくめた健康問題や、手をはなせない育児等にも、オンライン受講は有効な選択肢。双方向リアルタイムで受講をかさねると、送り手、ほかの受け手ふくめて、たがいに顔見知りとなる。
質問や意見交換は、実地では随時受けていく。オンラインでは、途中とさいごの2回にかぎっている。それも送り手と受け手の、一対一。
なぜなら、全体での意見のやりとりはむずかしいから。どこに座ってて、どっから声がきこえてきて、どっちに目をやって、どこに向かってはなすかという、等身大のコミュニケーションは成立しない。したがって双方向リアルタイムであっても、基本的には視聴を軸にした、効率よいすすめかたが求められる。沈黙の管理など、その例。
しかしながら、仮想教室でもそれぞれの音楽経験やそのひとらしさが開示され、楽曲理解を一人ひとりが広げていくのを、毎回共有できている。それがつづいていくと、現在進行形で経験を分かちあう場所として、仮想教室は実地に匹敵する。一人ひとりに親近感がわいてくるし、次回も参加する意欲や、オンライン教授での満足向上にもつながる。
まとめ:
好きで「もっと知りたい」を拡充する手段として、音楽教室は実地のレッスンを掛金に、かけがえのない場所であった。仮想教室は、拠点へのアクセス制約をとりはらう一方、道具立てで述べた環境構築の如何が、内容(と、その質)に直結してしまう。また、その整備・改善は、プライヴェートな努力にかかっている。
そして、五感のみをもちいた対面のコミュニケーションと比較すると、仮想教室ではみる(モニター越し)、きく(スピーカー)、はなす(マイク)、対話(一対一)に、看過できない制約がある。だがとりわけ、同時に受講する仲間とたがいに学びあうが十全に果たせないのは、実地におおきく見劣りする点。
仲間がカリカリ書いてたり、うなずいてたり、いっしょに笑ってたりといった居合わせの諸々が、こちらの理解と定着、内容の焦点化に大いに役立つのは、うたがえないところ。そうやって勉強会が特定の体験へ、「出来事」になる。もちろんそれらで集中を削がれるといったデメリットも、ありうる。
それでも実地からオンラインへと、移行したケースもあった。双方を比較したうえで、オンラインでのメリットが上回ったのだと、みなせる。
オンライン環境がツールとしてさらに改善し、かつ、構築・維持コストの低減がのぞまれる(交通費なみに?)。その暁には、アクセス制約のないオンライン教授は、上述のメリット(と、さらなる拡張)によって欠かせないものとなりえるだろう。
具体的には、ZOOMを利用した双方向リアルタイムの音声、映像を想定。
教授内容は、和声分析を中心とした、楽曲考察。ピアノを弾いてきかせる場面もある。板書ありの、各回1曲。適宜、質問なり意見なりをうけつけ、対話をうながす少人数ゼミ形式。同内容の実地教授もおこなっている。
音楽演奏をつうじたコミュニケーションの改善、すなわち演奏・歌唱のレッスンではない。オンライン教授を、ここではかりに仮想教室とみなしておきたい。
道具立て:
これは送り手、受け手のどちらも、安定した通信環境、ノートパソコンていど(以上でも)の大きさのモニターがのぞましい。送り手側として、板書に利用するホワイトボードが写り込む、広角カメラが必要。映像は定点で、ズームやパンは一切なし。マイクはノートパソコン付属のものだが、これでピアノ演奏も満足すべきレヴェルで拾えている(といふ)。ハウリングを避けるため、音声出力はイヤフォンを使用。
送り手側:
参加者全員がカメラオンで、顔がみえる前提。話をすすめていくタイミングや理解の程度は、受け手の表情やしぐさから確認。音声はオフにしてあっても、受け手全員の映像を目にできると、文字どおり、仮想教室のすべてに目が届く。板書や話をすすめるタイミングが、実際の受け手とのコミュニケーションとして成立すると、参加意識が有意に高まる。また、グッとはなしやすくなる。
留意するのは、沈黙のながさ。対面では板書を写す時間をたっぷり取るが、オンラインではやや切り詰めざるを得ない。オンラインの沈黙は、とってもきまずいもの。とはいえ、話しと演奏を一方的にきいているだけでは、絵面(えづら)としても飽きられるので、板書は積極的におこなう。
説明のためのピアノ演奏は、オンラインではなるたけみじかめに、必要をかぎっておこなう。実地とはことなり、演奏は空間を満たすのではなく、一人ひとりに直接届いている。これは、概念として放送です。ききづらくなるから、音声とピアノ演奏は、同時におこなわない。
受け手側:
全国から一堂に会する勉強会として、そもそも仮想教室が、唯一の場所。オンラインだから可能になる勉強会への参加は、代替がきかない。同居者をふくめた健康問題や、手をはなせない育児等にも、オンライン受講は有効な選択肢。双方向リアルタイムで受講をかさねると、送り手、ほかの受け手ふくめて、たがいに顔見知りとなる。
質問や意見交換は、実地では随時受けていく。オンラインでは、途中とさいごの2回にかぎっている。それも送り手と受け手の、一対一。
なぜなら、全体での意見のやりとりはむずかしいから。どこに座ってて、どっから声がきこえてきて、どっちに目をやって、どこに向かってはなすかという、等身大のコミュニケーションは成立しない。したがって双方向リアルタイムであっても、基本的には視聴を軸にした、効率よいすすめかたが求められる。沈黙の管理など、その例。
しかしながら、仮想教室でもそれぞれの音楽経験やそのひとらしさが開示され、楽曲理解を一人ひとりが広げていくのを、毎回共有できている。それがつづいていくと、現在進行形で経験を分かちあう場所として、仮想教室は実地に匹敵する。一人ひとりに親近感がわいてくるし、次回も参加する意欲や、オンライン教授での満足向上にもつながる。
まとめ:
好きで「もっと知りたい」を拡充する手段として、音楽教室は実地のレッスンを掛金に、かけがえのない場所であった。仮想教室は、拠点へのアクセス制約をとりはらう一方、道具立てで述べた環境構築の如何が、内容(と、その質)に直結してしまう。また、その整備・改善は、プライヴェートな努力にかかっている。
そして、五感のみをもちいた対面のコミュニケーションと比較すると、仮想教室ではみる(モニター越し)、きく(スピーカー)、はなす(マイク)、対話(一対一)に、看過できない制約がある。だがとりわけ、同時に受講する仲間とたがいに学びあうが十全に果たせないのは、実地におおきく見劣りする点。
仲間がカリカリ書いてたり、うなずいてたり、いっしょに笑ってたりといった居合わせの諸々が、こちらの理解と定着、内容の焦点化に大いに役立つのは、うたがえないところ。そうやって勉強会が特定の体験へ、「出来事」になる。もちろんそれらで集中を削がれるといったデメリットも、ありうる。
それでも実地からオンラインへと、移行したケースもあった。双方を比較したうえで、オンラインでのメリットが上回ったのだと、みなせる。
オンライン環境がツールとしてさらに改善し、かつ、構築・維持コストの低減がのぞまれる(交通費なみに?)。その暁には、アクセス制約のないオンライン教授は、上述のメリット(と、さらなる拡張)によって欠かせないものとなりえるだろう。