たまりば

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作曲を学ぶ&楽しむ会のお知らせ

町田市で作曲家やってるTomです。毎月開催の、作曲を学ぶ&楽しむ会のおしらせ。

第55回。しめきりは11月30日。

https://sakkyoku.ensemble.fan/correction-55

2小節の旋律課題を出します。それを利用して、16小節ていどの小品にまとめてくらはい。編成は自由。譜面の提出に、作品のコンセプトを添えてもらって。譜面は浄譜したものでも、手書きを写メ(←死語、、)したものでも。

今回の旋律は4分の4拍子、ファ長調。



メロディを8小節にかきのばして、かんたんな伴奏をつけたていどでもオーケイ。


さくひんのふくらませかた。

おさまりきらぬ創作意欲を、はちきれんばかりにつめこむためには。

 ・ながくする
 ・なかみの充実

すぐにふたつ、おもいつく。

なかみの充実には;

 ・編成をおおきくする
 ・なかみの作りつけのさらなる吟味

ながさをあくまで16小節にとどめても、かえって絞られる視野がペンの力をつける

みじかい(とおもわれる)中で、出口をもとめる作品が、その捌け口を、なかみの充実に向ける。

いかようにも姿をかえる、創作エネルギー。

それは、みずからの知らない側面をおしえてもくれるかも。


応募作品に、寸評つけます。そのあとZOOMを使った質問会を、任意参加で開催(別料金)。

それではあそびのつもりで、まずは上掲のメロディを弾いてみよう。  
タグ :勉強会


  • 2024年11月12日 Posted by Tom Motsuzai at 10:00Comments(0)

    創作──意識下の芽生え

    町田市で作曲家やってるTomです。時間軸上にひきつづく、切れない意識のながれ


    夢をみた。吊り輪をもちいた、パフォーマンス=ダンス。2-3分の規模。

    舞台上にならぶ演者は、横一列に、5名ていど。

    ドーいふわけか、その一員である。しかも、リーダー格であった(←夢のおはなしです)。

    会場入り、リハーサル、衣装準備、メイク、ステージまでの道行(=みちゆき)。そしていざ、パフォーマンスがはじまる。

    これをすべて中継する(編集の撮影だったかも)、カメラ目線で、ほどよい距離からながめている。

    吊り輪を握ると、空中へと、すこしずつ吊り上げられていく。天井に足を着き、倒立状態が、板付きスタンバイ

    パフォーマンスがはじまりかけたその際(=きわ)で、夢からさめる。

    会場の観衆からの視線を受け、手に覚える汗。しっかり握る吊り輪に、安定した身体への信頼。

    そんなパフォーマーの身体感覚が、実際に感覚されてもいて。


    しかしながら吊り輪、しかもそれでパフォーマンスなんて、これまでやったことない。

    そんな筋力(と、使用機会)はもちあわさぬ。

    それなら、いったいどこからこの夢の材源はやってきたのか?


    さふ;昨日アップした書き文字のコスパ意識にでてきた、「アクロバット」との、文言である。

    ふだん使い及ばぬ「アクロバット」との文言に触れてから、夢をみるまで、いいとこ5-6時間。


    すると、使い慣れぬ文言「アクロバット」が、実際のアクロバットを召喚

    吊り輪というわかりやすい対象物を例示し、一連の流れを再構成。

    さいごに、意識のスクリーンに投影。

    いったいだれが、これだけの手順を、いわれるまでもなくお膳立てしてくれたのか


    これだから、無意識って便利。  
    タグ :未分類


  • 2024年11月11日 Posted by Tom Motsuzai at 09:00Comments(0)

    書き文字のコスパ意識

    町田市で作曲家やってるTomです。コスパ・タイパの意識醸成はどこから。

    PILOTに取材を受けたで述べたやうに、ふだんから万年筆で、手書き励行。

    創るにエール!
    https://www.pilot.co.jp/media/yell/004.html

    トーゼン、インキ代がかかる。これはガラスのインキ瓶が目にみせる、コスパ意識。


    じゃあ、ケータイにでもメモするか。

    いいえ:そもそも、手書きしておくほどのテマをかけてでも、手で書いておきたいものが前提。

    それに、じぶんのため(メモ等)ではあっても、省略してばかりでは、みかえすときの読みやすさと美観を損なふ。

    そのつなひきの結果;

     ・書籍×→しょせき○
     ・想像×→ソーゾー○
     ・成長×→セーチョー○

    かきもじから、おとが、ユーセンされる


    これがキーボード操作でモニターに表示させるだけなら、幾らでも漢字を盛り込める。目に見えぬ電気代は考慮の外において。

    万年筆では、書いててインキが切れると、注入作業も必要だ。

    だから、あるていど以上を書くときは、注入しないで済むインキ量も、念頭におくことになる(事前に満タンにしておくとか)。もしくは複数の万年筆をじゅんび?


    したがって、手書きだと書く内容からして、セッセと節約。これは、より効率的な情報整理=思考を促す。

    手書きは、思考作業とセット

    それは、書くことで消費するマテリアルならびにフィジカルなテマが、常に付随するから。

    さびしくないていどの潤沢なマテリアルと、(それでも)限られた分量・時間の制約が、思考を促す習慣となる。

    これが書き文字ゆえの、タイパ意識。


    おなじことを、分量で圧倒的に有利なキーボードの打鍵作業でも行えないだろうか。

    たとえば、あえて控えめな表現で、内容を充実させるアクロバット

    これはもう、すでに創作のはじまりだ。  
    タグ :未分類


  • 2024年11月10日 Posted by Tom Motsuzai at 09:00Comments(0)

    『まなざしを上げて』再演

    町田市で作曲家やってるTomです。ひまわり賞受賞!したわたしのピアノ作品、『まなざしを上げて』が、再演されます。

    https://www5e.biglobe.ne.jp/~m-s-c/2024.11-No5-purple%20ribbon%20concert%20page.htm

    11月18日(月)、18時20分頃、開演。

    JR中央線高円寺駅が、もより。上掲リンク内に、会場案内があります。


    ひまわり賞をふくむ、パープルリボン作曲賞とは、女性への暴力撤廃をねがふ運動。

    運動への賛同を、どのように音楽化するか



    この作品にある、

    なにかをふりきって、こころからのよろこびをおぼえる開放感

    そんな瞬間を、ぜひ会場で体感してもらえたら。  


  • 2024年11月04日 Posted by Tom Motsuzai at 09:00Comments(0)

    義太夫節:伝統あるおけいこごと

    町田市で作曲家やってるTomです。おけいこごと今昔(=こんじゃく)。

    https://digital.asahi.com/articles/ASSB01SZVSB0UCVL00HM.html

    排他的に、男性のみでうけついできた結果、後進育成のめどが立たないてふ、文楽(=ぶんらく)。

    その伴奏音楽(と、言い切っておく)が、浄瑠璃(=じょうるり)。

    人形をともなわず、語りと太棹(三味線)だけのパフォーマンスが、素浄瑠璃。

    おけいこごととしての義太夫節は、素浄瑠璃とイコールと、考えてよい。

    ポピュラーなおけいこごととしての義太夫節は、素人浄瑠璃とも呼ばれる。


    それでは義太夫節は、いつごろ、ポピュラーだったか。

    上記リンクの記事に曰く;

      義太夫節が、銭湯にいけば誰かがうなっているような粋な趣味として庶民に親しまれていたのは、昭和30年代[1950年代]ごろまでの話。

    さかのぼって、明治30年代なかば[1900年代]。トーキョー。

      近来漸く常人にもまたこれを翫ぶもの増加せし如く、素人義太夫ざらひなど時々催さるるを見るなり(平出 2000:116)。

    もうすこしこっちの、昭和10年代[1940年代]。おなじく、トーキョー。大夫(=たゆう)とは、義太夫節の語り手のこと。

      都下のさる處で有名な実業家連の邦楽競演会が催された。出演者の素人大夫は何れ劣らぬ鞍馬山の佳人[ママ]、自信たっぷりと次から次へと高座に現れ出でる(上田 1942:75)。

    おなじく昭和10年代。範囲は全国(と、想定)。当時の百科辞典から「義太夫節」。

      また素人の素浄瑠璃にももてはやされて、今日に及んでゐる(三省堂百科辞書編集部編 2005:545)。


    ちなみに、上掲記事の見出しに「秘策」とあるが、女性の引入れはトーゼンのこと

    https://awajiningyoza.com/topics/1577/

    2014年、淡路島の人形浄瑠璃公演が、トーキョーに出張公演。

    演者は、中学校の男女生徒しかも、部活動

    かつ演目も、記事で言及されているのとおなじ、とっておきの見せ場、「太十」。

    これを、男女の中学生が演じているのを、鑑賞した。上掲リンクにあるように、2014年7月29日。

     文楽/淡路島の人形浄瑠璃
     プロ/部活動
     男性のみ/男女とも
     一生の芸事/卒業までの年限あり

    それでも、感動させるのは変わらない


    当時の日記を引くと;

      あんまりよくてボロボロ泣いた。

    参考文献
    上田,辰之助『経済人・職分人』(1942年、理想社)
    三省堂百科辞書編集部編『婦人家庭百科事典』上(2005年、ちくま学芸文庫)
    平出,鏗二郎『東京風俗史』下(2000年、ちくま学芸文庫)  


  • 2024年11月03日 Posted by Tom Motsuzai at 09:00Comments(0)

    ラジオドラマの録音サポート

    町田市で作曲家やってるTomです。たずさわったしごとについて。

    https://www.nhk.jp/p/rs/M65G6QLKMY/episode/re/RK47QQYRX9/

    ラジオの朗読ドラマ、NHK-FMのFMシアター。

    本日放送分、『坂多き 僕らの町に 照り振り雨』。

    音楽を担当した、高崎真介。

    そのスタジオでの録音を、サポート。

    もちろん朗読芝居本体とは、別録り。


    視覚のたすけなしに、耳だけでたのしむドラマ。一役ごとに、役者が担当する。

    50分たっぷり、新作。

    音楽も、すべて一発録りしたもの。

    くりひろげられるのは、けっこうな数の登場人物がくりひろげる、濃密な人間ドラマ。


    時間軸の移動、たとえば登場人物の想起エピソードもまた、再現ドラマされる。

    演劇でもなく、テレビドラマでもなく、小説の朗読でもなく。

    耳の上に想像される、大人たちとこどもが、うごきだす。

    その、ゆたかなふくらみ


    小説の朗読とことなり、描写の記述はない。すべて、登場人物の語りだけで、ドラマが進行する

    声音(=こわね)だけの芝居をたすけるのが、効果音と、音楽。

    ぜひ、ゆったりとしたきもちで、耳をかたむけてほしい

    複数回視聴してもらえたら、なお、味わいが深まる。ラジオの場合、聴き逃し配信。

    連続テレビ小説が、何度も再放送するように。  


  • 2024年11月02日 Posted by Tom Motsuzai at 09:00Comments(0)

    ことばのおもさとは

    町田市で作曲家やってるTomです。ことばをつづける。

    https://digital.asahi.com/articles/DA3S16072624.html

    今年度のノーベル文学賞を受賞した、ハン・ガン氏を名乗る、偽アカウント。

    偽アカウントの作成者は、ダマシといて「ダマサレルナ」とのメッセージだと、強弁。

    あたかも「静かにしろ!」と大声で怒鳴るやうな所業(『泣いたり笑ったり』またはふつうのかぞく参照)。


    それはさて。今回とりあげたいのは、次の文言。

      そこで語られる言葉こそ、世界に伝わってほしい。広く、正しく、確かな重さをともなって[強調は筆者]。


    ここにもまた、音楽とことばの相同性がみとめられる。どちらも、おもさをもたない。

    音楽やことばを、キロ売りすることはできない。

    それなのに、ことばの「確かな重さ」とは、なにを指しているのか。


    もしそれが比喩表現であっても、ことばや音楽に重み/軽みがありうるとしたら、それは、送り手の問題ではない。

    受け手側の解釈次第である

    もし受け手側に情報不足(や、早とちり)があって、ダマされるのだとしたら、その解消が、送り手(主にメディアを想定)に問われる。

    送り手は事前チェック等行った上で、発出するタイミングが計画される。

    対して受け手は、つねに/すでに任意かつ、随意。

    さらに、受け手側の解釈の地平を、事前に決定することもできない。これは、受容論の基本。


    放たれた矢とことばは、元に戻せない;ここに看取されるのは、重さではなく、速さ

    ことばの広がる速さをコントロールしようとするのは、波を留めやうとするのと、なんら異ならない。

    やれた(と、カン違いできた)ら、伝説になります。  
    タグ :未分類


  • 2024年11月01日 Posted by Tom Motsuzai at 09:00Comments(0)