たまりば

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反LGBT言説の検討 at 町田市

町田市で作曲家やってるTomです。とある市議のはなし。

渡辺厳太郎氏。会派は、選ばれる町田をつくる会。

「町田市議会議員 市政報告」と銘打ったA4印刷物を、各戸に放り込んでいく。日付の記載なし。

2023年7-8月に放り込まれた2部から、その反LGBT言説を検討しよう。


どちらも、印刷物の最終欄に掲載されている。

継時でならべてみる。強調は筆者。

リード「パートナーシップ制度導入に冷静な検討を求める」(500字ていど)

  盲目的に流行りの制度の導入を急ぐのではなく

リード「LGBTパートナーシップ宣誓制度の条例化に反対討論」(200字ていど)

  「多様性」の美名の下、文化的に異なる他国の失敗を対策すら考えずに模倣し

ならべるだけで、過激化しているのがよみとれる。内容はもちろん、リードからして。

しかも、字数はより少なくなっている。暴論の色合いが増している。

なぜだらふ;冷静にとりあげるだけの知識、議論の体験がないからだ。


それゆえ、以下のような文言が、あわせてたった700字のあいだで、つぎつぎに炸裂する。

  「ポリティカルコレクトネス」を推進する人々

  行き過ぎた法整備による弊害が社会問題化し

  一周遅れで追随することは、もはや思考停止しているとしか考えられず

  社会の分断を加速させ将来に禍根を残しかねない

  到底看過できません


われわれはもっと冷静である。

これらの言説こそが、分断を推進していると、みぬけるくらいには。

文学研究者、河野真太郎(1974-)は、現状を次のように分析する。

   現在、フェミニズムの興隆に対するバックラッシュ的反応がもたらす社会的分断が大きな問題となっている。

これは、バックラッシュ。さまざまなレヴェルで、町田市政にも反映される可能性がある。

LGBTをふくむ市民の声を、かきけされてはならぬ。

現場をみてきたまえ。たとえばプラパ。


さふ;2023年4月23日(日)に開催されたトーキョーのプライドパレード。

圧倒されたのは、一般企業の社員が、パレードに動員されていたこと。飲料メーカーから、保険、金融業まで。

その動員人数から、どーみてもLGBT当事者だけじゃない。

さらに各国大使館で、よびこみやってる。

「思考停止」しているのはどちらか、おもいしるはず。

参考文献
河野真太郎「懲罰幻想を超えて:告発型フェミニズムと男性たち」『世界』no.973(2023),112-121.  


  • 2023年08月18日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    安易な「送料無料」表示

    町田市で作曲家やってるTomです。ことばによる買い叩き。

    https://digital.asahi.com/articles/ASR8B66V3R8BUTFL00M.html

    上掲記事のヒアリングで注目したいのは、「安易に見直しをするべきではない(強調は筆者)」との一言。


    以前のブログ送料無料キャンペーンで、わざとつかった、送料無料。

    物流のパイセン、サンタクロースでも、送料無料との文言で買い叩かれたら、配達をボイコットしてトーゼン。

    こどもたちへのホスピタリティを殺し文句に、典型的なやりがい搾取

    しかし彼なら、たった年に1日の労働で済む


    物流に365日たずさわる労働者たちは、毎日「送料無料」を目にさせられている

    その結果、労働に対する自尊心をパフォーマティヴに毀損しているとの自覚は、ないのだろうか。

    企業努力で商品価格を下げている(「見直している」との婉曲表現が用いられているが)といふのなら、重々承知だらふ;タダほど高いものはない

    したがって、消費者ではなく、EC事業者こそが物流業を軽くみているのが、今回のヒアリングでアラワになったと、いえる。


    無料のサービスなどありえない。

    ゼロ円のスマイルを注文する客が、混雑時に100人いたらとかんがえたらよい。

    だから、送料無料サービスではない;送料サービスである。  
    タグ :未分類


  • 2023年08月11日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    通奏低音はお好き?

    町田市で作曲家やってるTomです。一般語と化した、「通奏低音」。でも、その意味って。

    朝日デジタルサイト内記事検索に、「通奏低音」をかける。2018年8月24日~2023年5月20日分。

    「通奏低音」につづく表現は、おおまかにつぎの三つにわけられる。

    もちろん、音楽用語としてのそれ(後述)は、のぞいてある。

     ・〜である・なる
     ・響く
     ・流れる

    各用例

    である・なる
     ・~になる
     ・~となる
     ・~だ
     ・~となっている
     ・~にあるように思う
     ・「通奏低音」になった
     ・「通奏低音」である
     ・~に身を切られるような寂しさがあり
     ・~は怒り。
     ・~は変えなかった
     ・「通奏低音」とも言うべき
     ・「通奏低音」になってる

    響く
     ・~として響いている
     ・~として響き続けている
     ・~のように響き続ける
     ・~のように響く
     ・~が共鳴し合うような
     ・~のように鳴り響いてる
     ・~の響きに耳を澄ませながら

    流れる
     ・~のように流れる
     ・~のような思いが流れている
     ・~で流れていた
     ・~として流れる

    つづく
     ・~のようにつづいている
     ・~のように続く

    その他
     ・~のように心に残った
     ・~さながら轟きわたる
     ・~の上で「協奏」した点にある

    もちいられた記事のジャンル
    書評/論説/映画評/時評/創作インタヴュー/講評/美術評

    どれも他人の作品にテクストで、からんでくタイプ。

    用法
    作品に伏在もしくは底流するテーマ等を、評者が指摘するのに、もちいられている。

    私見
    どれも後述する本来の語義から、大胆かつ自由に、変奏されているのがわかる。

    とりわけ「~のような思い」とか、「~さながら轟きわたる」とか。

    それ、どこも音楽と関係ないじゃん。

    本来の語義
    通奏低音は、現在ではつかわれない、過去の音楽スタイル。1600年頃から、200年ていど。鍵盤楽器か、撥弦楽器。

    その意味するところは、伴奏部において音符をすべて書き込むのではなく、ベースに付した数字表記で指定すること。いわば、制約のなかの自由

    そんな通奏低音の性格は、上掲の表現のどこにもうかがわれない。

    あくまで、それとめだたないけど、指摘するに足る「裏テーマ」みたあつかい。

    あきらかにことばが記号接地していない

    私見その2
    文字面(=もじづら)だけをそのまま直訳したと、とらえればいいのかもしれない。

     通奏=ずっと演奏されている
     低音=メロディではない、その支え

    結果、めにみえないけど、よりそうかのように、ずっとそこにある/いる存在。

    音楽から半分(以上)はなれた、ただ、ことばそのもの。「響く」や「ながれる」をまとうのも、タマタマ、オリジナルが音楽用語だったから。

    「~は変えなかった」にいたると、もはや音楽からの類推すら困難な用法。

    用法の地域制限
    なによりこれら「通奏低音」は、日本語として流通する

    つまり、これら上掲の用法は、たとえばスペイン語等では、ありえない。日本語以外にホームをもたない用法と、いえる。

    もしくは日本では、特別な音楽用語が、日常の書き言葉に根を下ろしたとも。

    それがいつからはじまったものかは、さらなる考察の対象足る。

    参考文献
    今井むつみ・秋田善美『言語の本質』(2023年、中公新書)  
    タグ :音楽雑記


  • 2023年08月10日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    作曲を学ぶ&楽しむ会のお知らせ

    町田市で作曲家やってるTomです。毎月開催、作曲を学ぶ&楽しむ会のおしらせ。

    第40回。しめきりは8月31日。

    https://sakkyoku.ensemble.fan/correction-40/

    2小節の旋律課題を出します。それを利用して、16小節ていどの小品にまとめてくらはい。編成は自由。

    今回の旋律はミ短調、4分の3拍子。



    メロディを8小節にかきのばして、かんたんな伴奏をつけたていどでもオーケイ。


    創作において、力をつけるとは。

    とりくむ手段が(以前より)広げられること;手数(=てかず)

    とりくんだものを、てのうちにおさめられること;一つの完成度

    とりくむごとに、あつかえる内容が深まること;継時の深化

    いくつものレヴェルでかんがえられる。


    応募作品に、寸評つけます。そのあとZOOMを使った質問会を、任意参加で開催(別料金)。

    あそびのつもりで、まずはじめてみよう。  


  • 2023年08月09日 Posted by Tom Motsuzai at 12:00Comments(0)

    共感覚について

    町田市で作曲家やってるTomです。共感覚について、和声のべんきやう会で質問を受けた。

    その返信を、ここに転載。なお、名前は伏せてある。

    ——————————
    **さん

    たとえば「音の明るさ」といったばあい、音自体が発光しているとはかんがえませんよね。

    「明るさ」といったばあい、それはある音の「色」であったり(=彩度)、音の存在する3次元空間の明暗であったり(=明度)。

    そうやって、「明るさ」というものを認知しているようにおもいます。

    さらに、硬さやきめの細かさ等、触覚次元も動員されているかもしれません。

    もしくは、「明るさ」と述べた時点で、視覚認知/認識による解釈を逃れられないとも。


    音楽体験において、聴覚のみが動員されているわけではない



    場の明るさ、雰囲気といったものも、同時に音楽への印象に寄与しているはず。それらが、聴覚認知と混線するのかも。

    さらに、音楽の存在する全的体験のうち、聴覚によるもののみを、音楽認識と呼んでいるのかもしれない。

    そんなわけで、共感覚とは、そもそもそこにあるもの。おそらく、各感覚の一対一対応ではない。もっとパーソナルなもの。

    われわれが感覚を総動員して、なんらかの表象を理解しようとする以上、必然的に呼び起こされるものではないでしょうか。

    トム  
    タグ :音楽雑記


  • 2023年08月08日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)