たまりば

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作曲を学ぶ&楽しむ会のお知らせ

町田市で作曲家やってるTomです。作曲を楽しむ会のおしらせ。

15回目。しめきりは7月31日。

https://sakkyoku.ensemble.fan/correction-15/

毎回2小節の旋律課題を出します。それを利用して、16小節ていどの小品にまとめるというもの。

今回の旋律はト長調。


前回の作曲を学ぶ&楽しむ会のお知らせで出した旋律課題は、ほとんどが、ロ短調で書いてきた。

この特徴的な、八分音符+付点四分音符の順次下行は、「ためいきのモチーフ」として知られる。明示しなかったけど。

それなのに、いつもとまったくちがう猛烈な情動を、応募者からひきだした。いわく、「すっかりとりつかれて」。いわく、「強烈な印象」。いわく、「おもわずわらってしまった」。

音楽は、種々のレヴェルの反復を利用して、さまざまな効果を意図するものだ。ときに、それがそのままジャンル名にもなる(ex. トランス・ミュージック、ヒーリング・ミュージック)。

このときは、ただの2小節に、3回モチーフが反復されているだけ。それなのに、その効果のおおきさには、おどろかされる。


さて、応募作品の編成は制限なし。なんでもやってみたいものでオーケイ。

応募作品に、寸評つけます。そのあとZOOMを使った質問会を、任意参加で開催(別料金)。

あそびのつもりで、まずはじめてみよう。  


  • 2021年07月04日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    ワヤン・クリッと歌舞伎

    町田市で作曲家やってるTomです。

    ガムラングループ・ランバンサリ自主公演による、ワヤン・クリッ『スマントリとスコスロノ』をみてきて(生きた古典芸能またはガムラン音感参照)、さらにおさらいオンライン鑑賞。

    ↓オンライン配信は2021年7月18日まで(購入は7月11日まで)

    https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02kq88y520r11.html

    おなじ舞台を複数回鑑賞して、日本の舞台芸能との共通点に、多々きづく。とりわけ、歌舞伎。

    以下、歌舞伎とワヤン・クリッ(以下ワヤンと略称)を、比較対照してみよう。

    ***
    1. 道行(みちゆき):

    歌舞伎では「ある人物の旅する姿を描いたもの(野口 1965:151)」。ワヤンでは、旅支度がととのって、一人ひとりが順に出発。その後、それぞれが特徴的な歩きぶりや掛け声をみせる。

    2. 歩く芸:

    歌舞伎では、たとえば六方(ろっぽう)。「手足をさまざまに誇張して動かす演技や所作(吉川 1984:1065)。また、八文字(はちもんじ)。「傾城が,花魁道中などで見せる,上体がたうとう歩みの足(野口 1965:47)。ワヤンでは、上述の歩きぶり。

    3. ツケ:

    歌舞伎では、「立ち廻りや走って出入りするとき、強調したい演技のときに、舞台の上手(かみて)端で、床に置いた板を拍子木で打って誇張すること(日本音響家協会 2003:77)」。ワヤンでは、人形遣いのダランが厚い板の木箱を打ち、また金属板をジャラジャラ鳴らし、人形の演技や闘いの場面を強調。

    4. 型:

    歌舞伎では、「数重なる上演例の中から典型化し、そのなかで、名優が工夫し成功した表現技法が〈型〉とよばれて遵守されてゆく(吉川 1984:218)」。ワヤンでは、定型化した両手をあわせるあいさつの表現や、闘いの場面で、相手の頭部をつかみ投げ飛ばすスペクタクルに看取される。

    5. 諸舞台芸能の連続性:

    歌舞伎では、人形浄瑠璃と(たとえば『仮名手本忠臣蔵』(1748)や『曾根崎心中』(1703))、さらには能と組踊で(たとえば道成寺物)、題材が共通している。ワヤンでは、影絵芝居のワヤン・クリッ、木偶人形芝居のワヤン・ゴレッのどちらも、『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』から題材を採っている。

    6. 舞踊の重要性:

    歌舞伎では、「舞踊は、それ自体が独立した演目であると同時に、歌舞伎の演技を支える柱なのである(野口 1965:25)」。人形のうごきをそのまま真似した、人形振りも存在する。「人形演技を移した極端な例である(野口 1965:141)」。ワヤンでは、影絵人形のうごきと、ガムランで伴奏するジャワ舞踊の振りに、密接な関連がある。

    7. 糸にのせる:

    歌舞伎では、「一見人形の如く、チョボ[義太夫、筆者註]の語り口や三味線のリズムに合わせて演技することを”糸にのせる”と言っている(野口 1965:147-8)」。ワヤンでは、人形の歩きぶり等が、伴奏のガムランとピッタリ同期している場面がある。

    8. タテ:

    歌舞伎では、「劇中の喧嘩、捕物、殺しなどの場面で演ずる格闘、争闘の演技・演出(吉川 1984:632)」。ワヤンでは、たたかいの場面における「型」のほか、ダイナミックに倒れたり、ころげる・ひっくりかえるうごきに、タテが看取される。

    そういやむかし、殺陣を「サツジン」だとおもいこみ、「甥っこが公園でサツジンを練習しているうんぬん」と、何度も車内で連呼してた方が...。

    9. 見立て:

    歌舞伎では、花道。「海や空に見立てたり、その設定は、舞台にかかわりなく自由自在だし、一ト足花道にかかることにより、時間の解釈もまた自由になるのである(野口 1965:41)」。ワヤンでは、生命樹ともとらえられるグヌンガン(「山のようなものの意(松本 1977:61)」)が、舞台転換、鳴動する天地、人物をかくす幕、空中高速移動効果といった、複数の見立てにもちいられる。

    ***
    オンライン配信では、「人形遣い側からの固定映像」が、足をはこんだ初日公演。2時間19分。パンフレットも、pdfファイルがダウンロードできます。

    参考文献
    日本音響家協会編『プロ音響データブック』(三訂版)(2003年、リットーミュージック)
    野口達二『歌舞伎』(1965年、文藝春秋新社)
    松本亮『ワヤン──ジャワの影絵芝居』(1977年、平凡社カラー新書72)
    吉川英治監修『邦楽百科辞典:雅楽から民謡まで』(1984年、音楽之友社)  
    タグ :音楽雑記


  • 2021年07月03日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    「...風」の外れる日(承前)

    町田市で作曲家やってるTomです。それで、音楽ではどうか。

    たとえば世界中で、ワルツは作曲されている(そういえばオイラも)。しかし、「ワルツ=waltz」は、そもそも英語だ。

    現在では、きかれるためのコンサート音楽として、かつては踊られた19世紀ウィーン風ワルツが、大手を振っているとしても。

    ***
    録音が存在する音楽では、耳コピという多聴学習法で、ソックリおなじが探究される。どうじに、あらたな音楽性を身につける契機ともなる。これは、ほんものらしさ=authenticityへのアプローチ。

    一方、個性が創作にもとめられる環境では、「...風」は超越されるべき、またはパロディとしてメタ化されるべき指標となる。

    ワルツでいえば、モーリス・ラヴェル『ラ・ヴァルス』(1921)や、『優雅で感傷的なワルツ集』(1911)が、想起されよう。

    そのとき、ほんものらしさ=authenticityは、個性=originalityに席をゆずる。

    もちろん機会音楽として、個性よりも、らしさが求められる場面もある。

    したがって、どちらからあゆみをすすめても、いずれ他方が、新たな相貌でやってくる。

    はたしてオイラの『みつばちのワルツ Bumble Bee's Waltz』は、どんな評価を受けるのやら...


      


  • 2021年07月02日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    「...風」の外れる日

    町田市で作曲家やってるTomです。街をブラついて目にした、3つの飲食店について。



    料理だけみても、ほぼ想像はつくかと。正解は;



    しかし、この「...ish」や「...スタイル」、「...風」とはなんだろう。

    ***
    質問を変えると、いったいなにを指示しているのだろうか。

    もちろん、料理の生まれた地元と、なんらかの関連があることをしめしている。それはおそらく、現地で口にした場合を100%として、パーセンテージでしめされるようなものだろう。

    たとえば、(大半の)原材料も料理人も現地由来なら、90%。原材料も料理人も当地のものではあるが、現地レシピを参照または監修なら、40%。

    だからハラール食材で、トルコ人が提供している(らしい)ドネルケバブは、より高いパーセンテージとなる。

    だが、そのときに口にしているものは料理ではなく、もはやイメージです。

    つまり、非国産小麦が原材料だからと、日本風あんぱんは85%になるだろうか。

    この例からわかるように、かりに現地で口にしたとしても、じっさいに口にしているのは、現地のイメージ。

    シンガポールはたべられないけれども、「シンガポール風」なら、たべてシンガポールのなにがしかを理解できる(気になる)。たべるという経験のつよみ。

    ***
    2000年8月、シンガポールの某高級ホテルでチキンライスをいただいたが(93%くらいか)、あれでシンガポールのなにがわかったか。

    写真をみかえしてみても、お値打ちでけっこうな分量、そしてホテルの快適さは、たしかにあきらかではある。しかしそれは、観光立国シンガポールがうちだしたいイメージそのままではないのか?

    次回は、このおはなしを音楽に敷衍します。  


  • 2021年07月01日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)