たまりば

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ゆずってつかう:指輪

町田市で作曲家やってるTomです。

資本主義が要請する(ともいえる)、計画的陳腐化&使い捨てへの対抗戦略を、いかにして個人レヴェルで遂行するか──ゆずってつかうです。

経年使用が愛着をわかせるモノなら、なおさら。

そんなわけで、実際に使用している、ゆずってつかえるモノを紹介してみたい。


永遠のかがやき、ダイヤモンド。

SUWAさん。

https://www.suwagem.com/jp/index.html

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経年損傷に突出したつよい硬度を誇る、地球のかけら;ダイヤモンド。指輪本体のK22とあわせ、その希少性は、資産的価値をも有する。

デザインは、15世紀ルネサンスのレプリカ。正八面体のダイヤモンド原石がセットされ(次の投稿にて詳説)、それ自体が、デザインの一部と化す。

指輪の表面には、文句が刻まれている。posy ringというが、のちの時代には、指輪の内側へ刻まれる例が多い。

刻文はラテン語で、「SIMVL ET SEMPER」、平常心と訳される。サイズなおしで切断しようとすると、デザインがこわれてしまう。つくりなおしとなる。

***
「ヒロシかるた:ら」ではないが、きにいったラテン語の刻文を日々身につける。15世紀の追体験。ダイヤモンドは誕生石でもあるし。

それに、山吹色と形容できる艶消しのK22は、肌の色となじむ。  
タグ :モノ雑記


  • 2021年10月31日 Posted by Tom Motsuzai at 08:00Comments(0)

    なおしてつかう:漆器

    町田市で作曲家やってるTomです。

    資本主義が要請する(ともいえる)、計画的陳腐化&使い捨てへの対抗戦略を、いかにして個人レヴェルで遂行するか──なおしてつかうです。

    経年使用が愛着をわかせるモノなら、なおさら。

    そんなわけで、実際に使用している、なおしてつかえるモノを紹介してみたい。


    縄文時代、7,000年前の漆塗りの櫛が発見されるほど、漆は耐久性がある。

    輪島屋善仁さん。

    http://wajimayazenni.co.jp/

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    だから輪島塗も、修理を前提とした、堅牢なつくり。こわれたからおしまい、ではない。

    ところが、そのいっぽうで。

    表面の朱色の下は、黒色。いつしか、表面の朱色がはげてくるとき、下からあらわれた黒色が、ユニークなよい景色を実現するだろう──つかいこむことで、なおさらうつくしくなる。そんな発想で、根来(ねごろ)は仕上げられている。

    蒔絵といった加飾のない、ふだんづかい。そして、日々つかうからこそ発生するいたみが、美として結実する。「用の美」とは、この意味なのだろう。

    ***
    そろそろ2年。スパゲティから親子丼まで、根来の大椀ひとつで、なんでも用が足せる。うつわが熱くならないのと、かるいからあつかいがラクラク。

    四柳嘉章『漆の文化史』(岩波新書、2009年)。  
    タグ :モノ雑記


  • 2021年10月30日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    ながくつかう:ペルシャじゅうたん

    町田市で作曲家やってるTomです。

    資本主義が要請する(ともいえる)、計画的陳腐化&使い捨てへの対抗戦略を、いかにして個人レヴェルで遂行するか──ながくつかうです。

    経年使用が愛着をわかせるモノなら、なおさら。

    そんなわけで、実際に使用している、ながくつかえるモノを紹介してみたい。


    みごとな作例が16世紀から確認できる、ペルシャじゅうたん。

    ペルシャン・ギャラリーさん。

    https://www.persian-g.com/

    **
    2003年、3月。一人旅の途次、イランはカーシャーンで、ホームステイのようにすごしたことがある。そのとき敷いてあった、赤いペルシャじゅうたん。

    ながいもので、はしっこは巻いたまま。そこにかぞくみんなですわって、いっしょに生アーモンドの処理をてつだっていた。

    そんなぐあいで、ペルシャじゅうたんは生活具。インテリアではない。

    部分的にいたんだとしても、修理がきく。そのため、産地ごとの糸を用意していると、ペルシャン・ギャラリーさんから聞いた。

    ***
    で、カーシャーン産の一枚で、じゅうたんゴロゴロ。冬はあたたかく、夏はサラリとさわやか。羊毛すごい。

    赤と紺を主調とする色づかいは、はなやかながらも、こころをおちつかせる。

    S. Mahmoudi Aznaveh Kashan: Pearl of the Great Kevir. (Yassavoli Publications, 1999)
    上岡弘二編『暮らしがわかるアジア読本イラン』(河出書房新社、1999年)。
    V&A美術館ジャミールギャラリー『イスラム美術展 宮殿とモスクの至宝』(V&Aパブリケーションズ、2005年)。  
    タグ :モノ雑記


  • 2021年10月29日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    めにみえないちがい:コンセントのむこう

    町田市で作曲家やってるTomです。再生可能エネルギー100%生活を、はじめた。

    https://group-buy.metro.tokyo.lg.jp/energy/shutoken/home

    コンセントのむこうが変わってから、半年経過。

    そのあいだにも、資本主義と手をたずさえた自然の搾取(=石油)と、フロンティアの開発(=原子力)が、(ほぼ)回復不能なまでに環境危機をふかめつづけている──エネルギーのために。

    日本に原子力エネルギーが導入された当初;

      昭和32年8月,第1号の実験用原子炉の運転を開始した東海村の原子力研究所は,工業化に必要なエネルギー源としての将来が期待されている(名取 1958:63)。

    ひるがえった現在、『人新世の「資本論」』またはラディカルな転回でとりあげた、斎藤幸平『人新世の「資本論」』は、毎月以上の頻度で重版をつづけ、とうとう40万部突破。

    チョイスは、われわれの側にある。

    名取洋之助編『茨城県:新風土記』(1958年、岩波写真文庫258)。  
    タグ :モノ雑記


  • 2021年10月22日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    自作解説63号目『アレルヤ Alleluiah』

    町田市で作曲家やってるTomです。ピアノ曲『アレルヤ Alleluiah』。



    26年前に書いた、処女作。

    今のじぶんが書いた作品とどうちがうか、じぶんではよくわからない。明確な三部形式。

    ラテン語のつもりだったが、それならalleluia。辞典には、「神を賛美せよ」を意味する歓呼の言葉と、ある。

    その意味内容というより、ことばの音から受ける印象を、あるていど抽象的な文言として利用した気がする。

    感傷的で叙情的。具体的な情景の描写を意図しないのは、音そのものへの信頼という点で、今でも共感できる。

    そして当時弾いてくれた、友人の演奏。モノスゴクうまい。

    楽譜はこちらからどうぞ。
    https://store.piascore.com/scores/116478  
    タグ :自作解説


  • 2021年10月12日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    JFCの正会員になった

    町田市で作曲家やってるTomです。

    JFC、The Japan Federation of Composersの正会員になった。

    プロフィールにコッソリ足してあった、日本作曲家協議会のことダス。

    その会員一覧には、漢字の名前が掲載されている。

    https://www.jfcomposers.net/jfcとは/会員一覧/

    使用頻度がダントツに低く、読みかたに見当のつかない漢字がみあたったら、それがそうです。

    それはさて。

    これからも「社会への公益に資する」ような、音楽にかんする「ふーん」を提供していく所存です──さらなる情報の確度とともに。

    長い目で、どうぞよろしく。  
    タグ :自己紹介


  • 2021年10月11日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    作曲を学ぶ&楽しむ会のお知らせ

    町田市で作曲家やってるTomです。ひさしぶりに作曲を学ぶ&楽しむ会のおしらせ。

    ヒロシのおかげで2ヶ月飛ばした、、

    さて、18回目。しめきりは10月31日。

    https://sakkyoku.ensemble.fan/correction-18/

    毎回2小節の旋律課題を出します。それを利用して、16小節ていどの小品にまとめるというもの。

    今回の旋律はニ短調、4分の4拍子。

    メロディを8小節にかきひろげて、かんたんな伴奏をつけたていどでもオーケイ。

    メロディはもちろん、作品をまとめる作業には、個性がソックリでます。編成も問いません。

    応募作品に、寸評つけます。そのあとZOOMを使った質問会を、任意参加で開催(別料金)。

    あそびのつもりで、まずはじめてみよう。  
    タグ :勉強会


  • 2021年10月10日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)

    イスラームの他者化

    町田市で作曲家やってるTomです。サウジアラビアで開催された、W杯のアジア最終予選。

    中西哲生氏は、日本選手たちを次のように、分析している。

      コーランの流れるアウェーの雰囲気にも、ストレスを感じていたのではないでしょうか。

      https://www.asahi.com/articles/ASPB845PHPB8UTQP011.html

    これは、中西哲生氏のコーランへの印象を、投影しているにすぎません。「流れる雰囲気」と、直接はコーランを名指しせずに。

    第三者の感情内面を忖度することで、直接の意見吐露では許されない表現が、可能になっている。

    それも複数の選手達へと忖度対象を拡大して、なおさら責任のあいまいな物言いへと、結果している。

    本来ならこうなる:

      コーランの流れる雰囲気に、(わたしは)ストレスを感じました。(→だから選手達もそうでしょう)

    ちなみに最近はアラビア語にちかづけ、「クルアーン」とされる。

    試合以前のモノ・コトへと、敗因分析の筆をすすめるのは、やつあたりにひとしい。

    それも世俗そのもののスポーツ対戦の場で、わざわざイスラームへと言及するのは、イスラームの他者化ではないか。

    人種差別が許されないように、宗教差別も許されない。

    コーラン(と、その朗唱)にストレスを感じるのは、どこかの時点で獲得された、学習の結果です。

    典型的なイスラーム誤表象。  
    タグ :アラブ


  • 2021年10月09日 Posted by Tom Motsuzai at 11:00Comments(0)