即興の理路
町田市で作曲家やってるTomです。人は即興しながら、なにをかんがえている/かんがえていないのか。
アートにエールを!東京プロジェクトに採択ですこし書いた、即興で感じたことを。
↑上掲のサイトに掲載された、わたしの『プロムナード/のあいだに』は、『プロムナード集』から6曲をならべ、「メタプロムナード」と称する5つの即興を、あいだにはさんだもの。
全体の構成は以下のとおり(メタプロムナードはMPと略記):
ある1月に→MP#1→ある7月に→MP#2→ある3月に→MP#3→ある10月に→MP#4→ある11月に→MP#5→ある12月に→ある1月に(リプライズ)
『プロムナード集』からの6曲も、この6曲だけで聴き通せる順に、いれかえてある。
まずは6曲だけ通して演奏した場合の、構成されるべきまとまりが、念頭にあった。そのうえで、『ある1月に』がリプライズする。そのほうが、作品として座りがよくなるから。
さて、あいだにはさんだ5つの即興は、曲順通りに弾き通して、一発録りで演奏したもの(プロムナードはあとで録りなおした)。だからそれぞれの即興は、プロムナードのあいだにはさまれて、たがいに断ち切られている。
それなのに即興5つだけを、編集段階で通して聴いてみると、あたかもそれ自体がたがいに接続し、独立しているのかのよう。
つまり、たがいにそれぞれ異なり、それでいて#1-#5までがそれぞれの所を得、全体の流れを実現している。各々単体でも、独立した作品であるかのようにふるまう。さらには、それぞれの前のプロムナードの後奏となり、次に続くプロムナードの前奏となりして、『プロムナード/のあいだに』全体をつなぐ役割をも、持つ。
なにより驚いたのは、それがプロムナードをはさんで演奏/録音していたのに、即興同士がたがいに照応しあう、全体像が実現していたこと。
だから、即興のどれかひとつをあとから録りなおすなど、できなかった。それでは、即興全体の調和を破壊するのです──そもそも即興なのに。
したがって;
・プロムナード6曲のまとまり
・即興5つのまとまり
たがいを断ち切るように、それぞれが交互に配されていながら、
・全体『プロムナード/のあいだに』のまとまり
を、実現したということになる。
***
そのような即興の理路は、わたしの内から出てきたものにしろ、相手は音です。これがことばなら、かってに話している内容が、話しているあいだになんとなく照応しあって、全体がまとまりのある、スピーチなりへと実現するのは、理解できる。おなじことが、音でも起きるのだと。
音とことばの相同性が、こんなところにもみとめられた気がした。
ちなみにここで聴かれるピアノは、ヴェルクマイスター音律が選択されています。ほぼすべてのアコースティックピアノにほどこされている、平均律とは異なる長3度の協和を、お楽しみあれ。
アートにエールを!東京プロジェクトに採択ですこし書いた、即興で感じたことを。
↑上掲のサイトに掲載された、わたしの『プロムナード/のあいだに』は、『プロムナード集』から6曲をならべ、「メタプロムナード」と称する5つの即興を、あいだにはさんだもの。
全体の構成は以下のとおり(メタプロムナードはMPと略記):
ある1月に→MP#1→ある7月に→MP#2→ある3月に→MP#3→ある10月に→MP#4→ある11月に→MP#5→ある12月に→ある1月に(リプライズ)
『プロムナード集』からの6曲も、この6曲だけで聴き通せる順に、いれかえてある。
まずは6曲だけ通して演奏した場合の、構成されるべきまとまりが、念頭にあった。そのうえで、『ある1月に』がリプライズする。そのほうが、作品として座りがよくなるから。
さて、あいだにはさんだ5つの即興は、曲順通りに弾き通して、一発録りで演奏したもの(プロムナードはあとで録りなおした)。だからそれぞれの即興は、プロムナードのあいだにはさまれて、たがいに断ち切られている。
それなのに即興5つだけを、編集段階で通して聴いてみると、あたかもそれ自体がたがいに接続し、独立しているのかのよう。
つまり、たがいにそれぞれ異なり、それでいて#1-#5までがそれぞれの所を得、全体の流れを実現している。各々単体でも、独立した作品であるかのようにふるまう。さらには、それぞれの前のプロムナードの後奏となり、次に続くプロムナードの前奏となりして、『プロムナード/のあいだに』全体をつなぐ役割をも、持つ。
なにより驚いたのは、それがプロムナードをはさんで演奏/録音していたのに、即興同士がたがいに照応しあう、全体像が実現していたこと。
だから、即興のどれかひとつをあとから録りなおすなど、できなかった。それでは、即興全体の調和を破壊するのです──そもそも即興なのに。
したがって;
・プロムナード6曲のまとまり
・即興5つのまとまり
たがいを断ち切るように、それぞれが交互に配されていながら、
・全体『プロムナード/のあいだに』のまとまり
を、実現したということになる。
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そのような即興の理路は、わたしの内から出てきたものにしろ、相手は音です。これがことばなら、かってに話している内容が、話しているあいだになんとなく照応しあって、全体がまとまりのある、スピーチなりへと実現するのは、理解できる。おなじことが、音でも起きるのだと。
音とことばの相同性が、こんなところにもみとめられた気がした。
ちなみにここで聴かれるピアノは、ヴェルクマイスター音律が選択されています。ほぼすべてのアコースティックピアノにほどこされている、平均律とは異なる長3度の協和を、お楽しみあれ。