たまりば

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魔改造 天使の声(承前)

そんなわけで、耳が認知するグルーピングには、とりわけリズムが、おおいにあずかって力がある。

ぎゃくにいうと、グルーピングが成功すれば、ききなれない音楽も、認知が容易になる。

とりわけ、ききなれないリズムの音楽を耳にするとき、まず、オモテ拍をさがそうとする。つぎに、強拍。それらがさだまると、メロディやリフが正しい、そのやうにのぞまれた律動(=骨格)に沿って、理解できる。

律動がさだまらない状態でのメロディは、たとえるなら、どこがアタマか(=頭極)、どこがしっぽか(=肛門極)みさだめられない、いきもののやう──そこにある/いるはずなのに。

これは、おなじ物理現象としての音響が、聴くことで音楽になるといってよい。


踊るのならもちろん、ただ聴取するだけでも、曲の「リズムに乗る」って、音楽の理解には根本的。

すると、人類にとって音楽現象の認知は、音以前に、リズムが先行していただらう。音楽現象における、意味の分節への積極的な人類の関与は、リズムからはじまった可能性。

ここからさらに、音の意味を(強制的に)変えるために、当該曲が要求するリズムではなく、わざとまちがった拍節に乗るって体験も、可能だ(←けっこうすき)。

ディスコ仕様のリミックスで、ヴォーカルトラックを半拍ズラすケースも、この観点から理解できる。


そして、グルーピングが認知機能である以上、脳神経学者、中田力(なかだつとむ)(1950- 2018)の次の発言は、説得力がある。

  明らかに、音楽とは個々の脳が作り出す「認知仮想空間」の中でのみ実存する概念である。

おわりに
音楽をもって、さらに音楽を語らしめよ。

中田,力「音楽機能とfMRI」『Clinical Neuroscience』Vol.17,5月号(1999年、中外医学社),113.


タグ :音楽雑記


  • 2022年02月28日 Posted byTom Motsuzai at 11:00 │Comments(0)

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