たまりば

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〜人のハーフまたは日本人のゼロ度

町田市で作曲家やってるTomです。

フィリピン人のハーフってかわいいの?」2021年11月某日、19時40分すぎ、街中で男子高校生ふたりの会話。

会話で言及された女性(断定)には、「かわいさ」つまり、男子高校生のめをひくものがある。

それは、生まれによって決定されている。

生まれを差異づけるには、国境が有意味である。

ハーフだから、両親(=ふたおや)のどちらかは日本人。

ハーフ属性は、かわいさに寄与する(し、それを肯定的に検証している)。

日本人のかわいいも、ジェンダー問わず、存在する。

だがその際、「日本人ってかわいいの?」とは、言及されない。「あの子/あいつかわいいの?」で、すむから。

ここからわかるのは、みずからをふくむ属性としての日本人は、言及に値しないこと。これを日本人のゼロ度と呼びたい。


2004-06年に生活していた南米のパラグアイには、日系人がいる。トーゼン、属性はパラグアイ人。

すると、「あの日系人(=descendiente japonés)カッチョよい」となる(一世をのぞく)。認識上は。韓国系なら「あのコレアーノ(=coreano)カッチョよい」。アラブ系なら「あのアラベ(=árabe)(以下略)」。

くりかえすが、それでもだれもがパラグアイ人。オイラみずからの属性、日本人との対照は、つねに意識されている。

ことばをかえれば、「あのハポネス(=japonés)カッチョよい(←例)」と他者には、みられていることをしっている。ゼロ度としての日本人は存在しない──すくなくとも当時の俺にとっては。

それは帰国してからも、つづいている。「あの日本人スゲエ****(←自粛)」と、みなすということ。

もちろん実際上は、いちいち国境を気にしないほうがおおい。川むこうがアルゼンチンの都市、エンカルナシオンに住んでたから、きいてみたらアルゼンチン出身だったり。

スペイン語(もしくは日本語)で会話が成立しているのに、相手一人ひとりの両親(=ふたおや)の出身などを、いちいち確認する意味がない(註)。


ともかく「ハーフ」表現には、みずからの属性をゼロ度とする認識がうかがえる。上述の高校生のように、個人レヴェルで。さらに、「ハーフ」タレントがいるように、集団レヴェルでも。

「ダブル」表現は、当事者からの主張。しかしながら日本人のゼロ度は、うけとめるがわの問題。

どうしたら大方の日本人に、そのおもいかえしをもたせられるかは、別の戦略が必要ではなかろうか。

註:相手の出自をかろんじて、ではないことに、注意。




  • 2021年11月12日 Posted byTom Motsuzai at 11:00 │Comments(0)

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